さて、
『映像論』は3回目です。
本日は
映像の歴史的な背景を 少しひも解いてみたいと思います。
その前に(一昨年のネタです。。。)
たまたま見た『林修、日曜日の初耳学』ミッチーこと及川光博さんが出てたんだけど
結構、良いことを言っていたのでっぜひ見てほしいと思います。
エンターテイメントってサービス業
自分が前に出しゃばるのではなくて、
みんなで作り出していくもの
余計な自我はいらない
だから、 自分をどう消すのかが重要だ
まさに、
僕らも自分をどう消すのか、でもちゃんと
自分の跡を残さなきゃいけない
これが実は難しいんだよね。
でも、覚えておいて欲しいなあ。
さて、
もうひとつ
先週、ラスベガスで開催されていた『NAB SHOW2024』
ひと言でいうと映画、映像、放送、配信などエンタテイメントの機材、ソフトウェアの世界最大の展示会です。
最新の技術情報が収集できます。
展示会でもお世話になった PRO NEWSさんも特集を組んでいます。
映像ってそもそもどこから来たのでしょうか?
現在の映像を取り巻く環境
現在はほとんどの生活がアナログからデジタルへ移行しています。そんなデジタルネイティブの時代を改めて見直してみると、私たちは自分たちを取り巻いている映像の環境をどのように見ているのでしょうか?
インターネットで動画を見る(ストリーミング)
動画をダウンロードして見る(ダウンロード)
動画をスマホで撮影(メモリー蓄積)して、動画サイトに投稿する(アップロード)
テレビを視聴する(放送の受信)
テレビ番組をあとで見る(オンデマンド)
テレビを録画して見る(レコーディング)
映画を映画館で見る(鑑賞する)
映画をDVDやBDで見る(パッケージ)
映画をオンラインで見る
そもそも映像って何?
私たちが日常生活を送る際に映像というのはどこにあって何なのでしょうか?
映画(映像)は元々フィルムに定着された写真(画像)の事でした(過去)。
その歴史は写真の歴史に遡ります(1840年前後)
そして写真を単に静止画ではなく、連続写真と捉え、絵をコマ撮りをするアニメーションと実写を連続して撮影する映画=シネマトグラフ、モーションピクチャーに分かれていきました。1960年代、テレビの普及により、映画人口は一気に下降します。80年代、ビデオレコーダー、ビデオカメラが普及していきます。ビデオテープ、CD、DVD、BDと映像の記録メディアとしてのパッケージが発達していきます。2000年前後から、フィルムからデジタルシネマカメラへの移行、映画館もデジタルのプロジェクターに変わっていきます。そしてすべてはデジタルに変わる中で、私たちは映像をどのように伝えようとしているのでしょうか。
『コンテンツ・メディアの進化系譜2021』
新しいプレゼンツールPreziでの表示はこちら
https://prezi.com/view/yUFUxSeajqAOnqTnTyp6/
私たちは映像をどのようにして映像として捉えているのだろうか?
それには「映像が”絵が動く”ということ」から始まっている事を説明しなければなりません。もっと言ってしまえば、映像は「人間の視覚の特性や原理」を理解した上で作り出された”モノ”であるという事です。つまり、人間が肉眼で見ている事象を何らかの手段で記録、定着、保存することが映像である、という概念から始まっているのです。
映像とは
人間が肉眼で見ている事象を何らかの目的や手段で”記録”、”定着”、”保存”すること
そのため、人間はさまざまな形で目の前に見えるモノを残そうとしました。
古くは壁画、そして絵画へ
みなさんはスペインのアルタミラやフランスのラスコーの洞窟壁画を知っていますか?
今から20,000年から35,000年以上前に描かれた動物などの画です。どれも動物の動きや躍動感に満ちたものです。
もっと目の前の現実を記録するために写真(カメラ)が作られました。
ピンホールカメラ Pinhole camera
針の穴のような小さな穴からから光を通しある一定の距離に壁面を作るとそこには風景が映し出すことができます。私たちはこの原理を『ピンホールカメラ』と呼んだりします。
現在でもその原理を用いた簡単なカメラを工作することができます。またピンホールレンズと呼ばれるレンズキャップに穴をあけたものをデジタル一眼レフカメラにダイレクトに装着することでレンズなしで映像を映し出すことができます。
カメラ・オブスキュラ(英camera obscura 、ラテン語:camerae obscurae “暗い部屋”の意)
15世紀頃に、その原始的なピンホールカメラの原理を箱を使って実現したのが現在のカメラの原型にあたるカメラ・オブスキュラです。最初は日食の観察などに使われ、そのうちにレンズや鏡を組合わせて模写や構図の下書きに使われるようになります。
カメラ・オブスキュラは東京ディズニーシーのフォートレス・エクスプロレーション内にも展示してあり、360°パノラマの風景を目の前に映し出すことができます。
(03:29〜 カメラ・オブスキュラの説明してます)
人間の視覚の特性や原理
人間の視覚上の特性が解明される中で、その特性効果を使った面白い道具や装置が作られました。それが現在の映像にも応用されています。実際には残像効果、混色効果、併置混色と呼ばれるようなものです。
ソーマトロープ(Thaumatrope)
ソーマトロープは表裏に絵を書いてカゴの中に鳥が居るように見えるものです。人間の目の特性のひとつ、残像効果を利用したものと言えます。
フェナキスティスコープ(Phenakistoscope)
1831年ベルギーのジョゼフ・プラトーとオーストリアの Simon von Stampfer がほぼ同時に発明。回転する円板に絵が順に描かれており、コマとコマの間にスリットがあります。この円板を回転させ、絵を鏡に映し、動くスリットから透かして見ることができます。
SOUR『life is music』
ゾートロープ(Zoetrope)
側面に縦にスリットの入った円筒形の内側の面に個々の静止画が描かれており、連続写真のように並んでいる。この円筒を回転させ、スリットから反対側の内側を透かして見ます。
Cartoon Network Bumpers – Magical Zoetrope
3D Zoetrope “Get Animated” at the California State Fair
Pixar’s Zoetrope
GAP Experiment In Color
トクマルシューゴ – Decorate
This is a 3D printed light zoetrope
Magic Lanternマジック・ランタン
マジック・ランタンショーと呼ばれた幻灯機での上映会が17世紀から18世紀にかけて流行しました。これは、ライブ、ドラマ、喜劇などを語りとともに上映する劇場の原型でした。現代で言うところのスチル写真によるスライド上映のようなものでした。
写真の発明
ニセフォール・ニエプス 1822-27頃
石版画に光が当たって硬くなった瀝青(きせい)は残り、線の下にあって固まらなかった瀝青が洗い流され、結果として板に溝が残る。ここにインクを入れて印刷原版にするという製法が発明されました。当時は光を当てる露光時間に8時間以上を要しました。
ダゲレオタイプ(銀板写真)の発明 1839-
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが考案した銅板にヨウ化銀を塗るタイプの写真の原理です。これが「現在の写真の原理の原型」と言ってよいと思いますが、当時の写真の露光時間は20分〜数分かかりました。結構大変ですね。でもこの写真の発明によって肖像画写真ブームが起こりました。
フィルムの発明と静止画から動画へ
コロジオン方式 1851-
ガラス板に塗る 湿式写真
イーストマン・コダック 1884-
紙に乾燥ゲルを塗布する方式 湿式から乾式へ
コダックカメラの発明
セルロイド、フィルムの発明
写真歴史博物館 富士フィルム
エドワード・マイブリッジ
1878年、マイブリッジが写真機を12台並べ、馬の走り「ギャロップ」を連続写真として撮影し、これが動画としての映画の原理の最初かもしれません。その意味でマイブリッジの果たした役目は重要です。スタンフォード大学の創設者でカリフォルニア州知事のリーランド・スタンフォードとの酒の席での賭けにより、彼は、12台のスチルカメラを使って、同時に地面から離れていることを証明しています。この「ギャロップする馬」の連続写真を見たエジソンが後に映写機の原型でもあるキネトグラフ、そしてキネトスコープを発明しすることとなります。
※タイムスライス(バレットタイム)
映画『マトリックス』でおなじみなタイムスライスも実はカメラを120台並べて撮影している。
映画のはじまり
映画がいつどこで始まったのか、という問いに答えるのは非常に難しい。その理由は映画そのものの定義を明確にしないとその創始をどこにすれば良いかも定まらないからです。それでは映画の定義とともにその創始を辿ってみたいと思います。
映画はMotion Pictureと呼ばれるように動く絵、動く写真と捉えることができます。その意味で映画の始まりはエジソンの発明した「キネトスコープ」とする人もいます。
しかも数年の間にアメリカとヨーロッパで立上がった映画館ブームも映画を定義づける重要な意味を持っています。それでは映画の創始を見ていくことにしましょう。
トーマス・エジソン
1891年に撮影用カメラ「キネトグラフ」と映写機「キネトスコープ」を発明
エジソンが発明した「キネトスコープ」は、一人ずつ覗き込んで映像を楽しむと言うものでした。しかも自分の弟子のウィリアム・ディックソンの発明だったとされています。
1894年にはキネトスコープ・パーラーという映画館が作られました。
映画スタジオ「Black Maria」の設立
1893年には、ウエスト・オレンジ研究所の敷地内にアメリカ初の映画スタジオ「ブラック・マリア(Edison’s Black Maria)」を設立し、ウィリアム・ディックソン、ウィリアム・ハイセを監督に、キネトスコープ用の白黒フィルムを制作し始めました。
エジソンは、トーマス・アーマットの映写機を使って、翌1896年4月に、ニューヨークのコスター・アンド・バイアル・ミュージックホールで映画の上映を行いました。
(エジソンの最初の映画)
このホール跡地には、有名なメーシーズ・デパートが建てられ、34丁目に面した壁面に、トーマス・A・エジソンの名前と共に「HERE THE MOTION PICTURE BEGAN」(映画発祥の地)と刻印されたプレートが掲げられています。1901年にはマンハッタンに、1907年にはブロンクスに新しい映画スタジオ(Edison Manufacturing Company、のちにThomas A. Edison, Incと改名)を開き、約1200本のフィルムを制作しました。
ルイ・ル・プランス
1888年10月14日に撮影した作品が「ラウンドヘイの庭の場面」であり、世界初の映画
単レンズカメラを使い世界初の映画を撮影した発明家です。「映画の父」とも呼ばれています。
リュミエール兄弟による映写機の発明
1895年にリュミエール兄弟が開発した「シネマトグラフ」は、現在の映画のようにスクリーンに映像を投影する仕組みになっており、一度に複数の観客が同時に見ることが出来るものでした。1895年12月28日パリのグラン・カフェの地下でスクリーンに投射する方式のシネマトグラフの一般上映を行ないました。これは世界で初めて映画を大衆の面前で、入場料を徴収して上映したものです。
(当時の映画上映のポスター)
(グラン・カフェの外観)
(当時のフィルム映写機)
(上映の様子)
シネマトグラフィー Cinematography
(from Greek “κίνημα”kinema“movements” and γράφειν, graphein “to record”)
シネマトグラフィーはギリシア語のkinēmatosキネマトス(動き)とgrapheinグラペイン(描く)の合成語で、これ以降映画はシネマ、あるいはシネマトグラフィーと呼ばれるようになります。
世界最初の映画の上映(1895) リュミエール兄弟 「工場の出口」「列車の到着」な
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787年-1851年)。
舞台装置家として出発し、パノラマ画家となり、1822年にジオラマを発明した。その成果を基に、1839年に銀板写真を発表、彼の名前を採って、「ダゲレオタイプ」と呼ばれました。
イーストマン・コダック社が携帯型の写真機を発売します。
1902年、人類史上はじめての、ストーリーというきちんとした概念を持った映画「月世界旅行」(1902)秒間16フレーム、14分 ジョルジュ・メリエス
メリエスの晩年を描いた名作『HUGOヒューゴの不思議な発明』(2012)
ニッケル・オデオン常設映画劇場
1902年、4年間で全米の大都市に1万軒の劇場が作られました。
1903年、初めてストーリーのある映画『あるアメリカ消防夫の生活』『大列車強盗』などが公開されました。監督をしたのはエジソン社の社員エドウィン・S・ポーターでした。
『大列車強盗』”The Great Train Robbery”(1903)
https://youtu.be/Bc7wWOmEGGY
何が驚くかと言うと最後に観客に向かって銃を撃つところが面白いですね。
「お化けホテル」(1906)ジェイムズ・スチュアート・ブラックトンが製作したコマ撮り撮影をい用いて怪奇現象を再現した映像を用いたお化け屋敷を描きました。
アニメーションのルーツと言われるのは「ファンタスマゴリー」(1908)です。手描きの感じが良く出ています。監督はエミール・コール
サイレントからトーキーへ
サイレント時代 1910年代〜1929年 チャップリン、キートン、ロイドなどのサイレント喜劇など
1927年、アメリカで世界初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」製作ワーナー・ブラザーズ
「お楽しみはこれからだ!」のセリフが有名(You ain’t heard nothin’ yet!)
映画フィルムのサウンドトラック soundtrackのしくみ
映画『雨に唄えば』(1952)はそんなサイレント映画からトーキー映画への過渡期のドタバタをコミカルにそして感情豊かに描いたミュージカルの傑作です。
『雨に唄えば』を見ることで、当時の映画製作の苦労や制作の裏側が垣間見えて非常に興味深いです。もちろん、ストーリー、ダンスシーンとしても傑作だと思いますが。ぜひ、いちど見てみてください。
世界初のトーキーアニメ「蒸気船ウィーリー」(1928)ミッキーマウスのデビュー作でもあります。
カラー映画へ
1935年、世界初のカラー映画「虚栄の市」(原題:Becky Sharp ルーベン・マムーリアン監督)
それ以外にもカラー作品の映画『白雪姫』(1937)、『ロビン・フッドの冒険』(1938)、『オズの魔法使』(1939)、『風と共に去りぬ』(1939年)、『ファンタジア』(1940)(いずれもテクニカラー作品)。テクニカラーは色の表現力や耐久性で他のカラー・システムを圧倒し、色彩映画の代表格となっていきます。
ハリウッド古典期/黄金期 1929〜1945年 「風と共に去りぬ」(1939)「市民ケーン」(1941)「カサブランカ」(1942)など
ポストモダン期 1946〜1962年 「サンセット大通り」「雨に唄えば」「サイコ」など
変革期 1963〜1976年 「スティング」「ジョーズ」など
アメリカンニューシネマ 1960年代後半~1970年代 「俺たちに明日はない」「明日に向って撃て」(1967)「スティング」「ダーティハリー」「フレンチコネクション」「イージーライダー」「タクシードライバー」など
ポストモダン期 1977〜現代「スターウォーズ」「未知との遭遇」「インディージョーンズ」などなど、
映画の125年に及ぶ歴史も非常に面白いのですが、それだけでひとつの半期講座になってしまいますので、話はこの辺にしたいと思います。